本日もお疲れさまです!
こんにちは オレゴンから ゆみです
おかげさまで、今日も元気でやってます。
「モラハラ夫の家を出たい、でも何を準備すればいいの?」
SNSで発信を始めてから、何度も聞かれた質問です。
私自身も家を出ると決意してから、怖さと不安で何度も押しつぶされそうになったことを思い出します。この記事では、私が別居を決意してから実際に家を出るまでに準備したことをシェアします。
「逃げる」と片付けられがちですが、私にとっては、衝動で飛び出したわけではありません。
悩み、考え、怖さを抱えながらも、自分と子どもの安全を守るために慎重に選んだ行動でした。
※この記事は私個人の体験談です。
同じ方法がすべての人に当てはまるわけではありません。
DVの状況によっては、別れ話が危険を伴う場合もあります。
どうか一人で判断せず、専門機関とつながりながら安全第一を守ってください。
家を出る覚悟と恐怖
元夫の家を出る決意した時、すぐに行動できたわけではなかったです、安心よりも先にきたのは恐怖でした。
いろんなことが怖ったです、これからどうなるのか、子どもを守れるのか、生活は成り立つのか?元夫の嫌がらせや、家を出ることに対しての復讐があるんじゃないかとか、頭の中が整理できないほどの怖さでした。
・怒りが爆発したらどうしよう
・子どもを連れ去られたら?
・生活費はどうなる?
・法的に不利にならないか?
・アルコールで理性を失ったら?
覚悟をしたものの、未来のことを想像すると不安で押しつぶされそうになりました。それでも心のどこかで、「このままではいけない」、「このままここにいたら、もっと最悪なことになる」という感覚だけは消えずに残っていました。
まず支援施設に相談した
最初にしたのは、支援施設への相談です。確認したのは以下のことでした。
・今の状況がDVやモラハラに該当するのか
・接近禁止命令の可能性
・家を出た後の支援制度
・子供の学校
・シェルターの利用方法
・弁護士の紹介
支援施設では、こういったことを冷静に一つずつ確認することができました、彼女たちは誰よりも多くの人たちをサポートしてきているプロです。「一人で判断しなくていい」そう思えたことが、心の支えになりました。
それまでは、「自分が我慢すればいい」「夫婦のことは家庭内で解決すること」そう思っていた私にとって、誰かを頼ることはとても大きな一歩でした。
重要書類の確保
家を出る時にやったことの一つが、証明書類の確保です。私はこの2つを確保しました。
・子どものパスポート
・子どもの出生証明書
「後から取りに戻る」は、想像以上に難しいと教えられたからです。恐怖の中でも、ここだけは冷静に動いた記憶があります。
黙って出ず、話し合いの日を決めた
私は黙って逃げる選択をしませんでした。
理由は、後から「子どもを勝手に連れ去った」と言われるリスクを減らしたかったからです。きちんと日にちを決め、「大事な話がしたい」と伝えました。この一言を伝えるのにも、すごく勇気が言ったと共に恐怖がありました。
私は感情に任せて飛び出すこともできたかもしれません。
何度も、今すぐ逃げて日本へ帰ろうかと思った事、このまま消えてなくなりたいと思った事もありました。毎日毎晩、耐えながら何が正しい選択なのか考えていました。
でも子どもを連れて家を出る以上、自分が不利になるような行動 はしたくありませんでした。なにしろ、相手はモラハラ夫なのですから、どんな正しい道を踏んだとしても私のせいにされると思ったしね。だからまず、何ができるのかをすごく慎重に準備をすることを選んだんです。
この一歩さえを踏み出せば、一つ前進できるとう思いが私の背中を押しました。
話し合いには第三者に同席してもらった
私は元夫も知っている友人夫妻2組に同席してもらいました。理由は明確です、第三者がいることで、話が感情的に暴走するのを防ぐためです。
・威圧を抑止する
・感情の暴走を防ぐ
・証人を残す
・言葉のニュアンスを正確に伝える
家庭の問題を友人に打ち明けるのは、本当に勇気が必要でした。
家庭のことに友人夫妻を巻き込むことに関しては、正直すごく躊躇したし、切り出すまでにもとても勇気が入りました。友人が私の覚悟を受け入れてくれたことに心から感謝しています。
あの時もし私一人だったら、いつものように大きな声で攻め立てられ、話し合いにもならなかったと思います。
子どもを安全な場所に預けた
当時2歳だった息子は、別の友人に預けました。大人の緊張を見せたくなかったし、別居は親の決断でも、影響を受けるのは子どもです。
子どもを守る準備は、最優先事項でした。
伝え方を事前に整理
私は「DV」「モラハラ」という言葉を使いませんでした。代わりに伝えたのは
・アルコール依存への不安
・怖いと感じていること
・精神的に限界であること
・距離を置きたいという意思
責めるのではなく、“これ以上、今は一緒に暮らせない理由”として整理しました。感情の応酬になれば、状況は悪化すると分かっていたからです。
「仲直りの話だと思ってた」というズレ
彼は、バツが悪そうでした。そして、呆れたことにこう言ったのです。
「夫婦関係をよくするための話し合いかと思ってた」
その一言で、私たちの間にある認識のズレをはっきり感じました。
でも、このズレがあったからこそ、私は戻らずに行動を選べたのです。
失われた安心感は、謝罪や説明だけでは戻らない、そう理解した瞬間でした。
話し合い当日に家を出る段取りを組んだ
話し合いが終わったその日、私は家を出ました。
元夫には「しばらく友人宅で生活する」と伝えましたが、翌日から始まったのはシェルターでの生活でした。友人宅に長く滞在するよりも、安全と支援を優先しました。
これは「逃げ」ではなく、「安全確保」でした。

再接触も一人でしなかった
数日後、謝罪と長い手紙を受け取りました。再び会うときも、必ず第三者に同席してもらいました。彼は反省している様子で、自分が全て悪かったと謝ってきました。手紙には、妻と子どもを失うかもしれない現実、私に対する謝罪とアルコール依存がそうさせていること等が書き綴られていました。
同席してくれた友人は、私に言いました。
「こんなに真剣に謝ってるんだから、もう一度だけチャンスをあげたら?」と。
正直、一瞬少しだけもう一度信じていいのかなって思いそうになりましたが、今までされてきたこと、ここまで決意して行動に移した気持ちと苦労を振り返ったら、相手ではなく、自分を信じる事の方が大切だという信念で手紙だけ受け取って後にしました。
それまでに一度失われた安心感は、謝罪だけでは戻らないことを、私はもう知っていたからです。
別居前にしたことリスト
支援機関に相談した
危険性を確認した
重要書類を確保した
話し合いの日を決めた
第三者を確保した
子どもを預けた
当日に出る段取りを整えた
住む場所を確保した
感情で動くのではなくて、準備の積み重ねです。
まとめ
これはあくまでも、私の体験談です。全ての方に当てはまるとは思わないけど、一人じゃなくて、誰かと一緒にいてもらうことによって、証人にもなってもらえるのと、何よりも、相手がただ攻撃してくるだけでなくて、こちらの話ができるってこと。
今回の体験談は、離婚を決めた瞬間の話ではないです。「自分と子どもの安全を最優先にした」のです。
離婚に至るまでのことは、また別の記事で少しずつ書いていこうと思います。
同じように迷っている誰かに、「準備して出る」という選択肢があることが伝わったら嬉しいです。
知ってるだけで、強さになる、今は何も起きてなくてももしもの時にここへ戻ってきてね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

